歴史に培われた技術は信頼の証

高度成長期を彩った品質の追求は現在も受け継いでいます

H.B.プロセスの様子

創業は1924年(大正13年)

秀英堂紙工印刷の創業は関東大震災の復興間もない1924年(大正13年)、中央区湊町。創業当初から戦中、戦後にかけてキャラメル箱の製造を手がけていたことから「紙工」の名が残っております。建物は当時珍しいガラス張りの明るい工場で同業の方々から「湊町御殿」と呼ばれたとか。太平洋戦争の戦火を乗り越えたものの、その建物は失火により消失してしまいました。その後は工場を四谷に移し10年、さらに高度成長期の活況を得て1962年(昭和37年)玉川工場へと移り現在に至ります。

当時の主な製品は映画ポスターやカレンダーなどのカラー印刷。モノクロ写真をモンタージュした原稿から造られる、H.B.プロセスによる人着(人工着色)ポスターは、職人のセンスが問われる仕事でもありました。ポジレタッチに使用する擦りガラスは5mm厚で全版ともなると重たく移動に苦労したそうです。また感光材を塗布するにあたり卵白を使用するため、お昼には大量の玉子焼きが並ぶこともしばしば。使用済みの擦りガラスは印刷用のジンク版とともに洗浄・研磨を経て再利用されていたため、専門の「研磨部」もありました。

H.B.プロセスとは…

H.B.プロセスというのは、ドイツ系のアメリカ人、ウィリアム・ヒューブナーが考案した多色写真平版の製版法である。ヒューブナーは、1896年(明治29年)頃から写真を利用して多色の平版を製版する研究に没頭。1908~9年頃に至り、在来の転写法の代わりに1枚のネガから、大型の版材に直接反復焼き付け、多面付きの刷り版を作るコンポーザー(殖版機)を考案した。まずH.B.カメラと称する特殊装置の大型暗室カメラを用いて、原稿から4枚の分解ネガを撮り、さらにそのネガから透かし撮りして、すりガラスにマゼンタ、シアン、黄、墨および2~3色の淡色用のポジを作る。これを原稿と対照してレタッチを加え、充分に修正してから、カメラでそれぞれ網ネガとする。この網ネガと感光液を塗布したジンク板とをH.B.コンポーザーに取り付け、あらかじめ作っておいたレイアウトに基づいて規定した位置に反復焼き付ける。この位置を決めるのはマイクロメーター付きのハンドルにより、1000 分の1インチの精度を得ることが出来る。
(東京写真製版工業協同組合発行「写真製版工業史」より)

その後も当時最新鋭の機材によるダイレクト製版など、いち早く時代のニーズを汲み取りつつ「色再現」を追求してまいりました。「色へのこだわり」は現在の秀英堂紙工印刷にも脈々と受け継がれております。

高度成長期(1970年頃)の現場の様子

製版カメラ撮影
引伸しカメラ
A倍判4色枚葉オフセット印刷機
写植組版
主力製品 その1
主力製品 その2

沿革

1924年
(大正13年)
堀澤 健治 秀英堂紙工印刷所創設 (東京都中央区湊町)
1955年
(昭和30年)
秀英堂紙工印刷株式会社 設立 資本金50万円
1962年
(昭和37年)
資本金800万円に増資 玉川工場竣工
1967年
(昭和42年)
東京都中央区宝町に本社移転
1984年
(昭和59年)
堀澤 宏 秀英堂紙工印刷株式会社 社長就任
1995年
(平成7年)
製本機械一式導入
資本金1,000万円に増資
1997年
(平成9年)
小森社製 ニューリスロン四六全判6色機導入
1998年
(平成10年)
資本金1,600万円に増資
小森社製 ニューリスロン四六全判5色機導入
1999年
(平成11年)
光ファイバーDA1500導入
2005年
(平成17年)
CTP PT-R8800Ⅱ導入
ISO14001(1996年版)認証取得(玉川工場)
2006年
(平成18年)
ISO14001(2004年版)認証取得(玉川工場)
2008年
(平成20年)
FSC CoC認証(森林認証)取得
プライバシーマーク使用許諾取得
2015年
(平成27年)
堀澤 惠美子 秀英堂紙工印刷株式会社 社長就任
2016年
(平成28年)
川崎市高津区下野毛に本社移転(玉川工場と統合)

お問合せはこちらから

044(8500451

(代表番号/平日 9:00〜18:00)

または、メールにてお問合せください

contact@shueido.co.jp